Project 08

地元に根を張り、ともに歩む
~熊本地震復旧・復興の最前線から~

鶴屋百貨店復旧工事

背景

熊本地震の被害からの復旧・復興の一翼を担った当社の奮闘ぶりに迫る。

早期復旧へ向けて

2016年4月14日夜および4月16日未明に、熊本県と大分県で、それぞれ震度7の地震が発生。このほか震度 6 強などの強い地震が数回発生し、広い範囲で大きな被害が生じました。
熊本を代表する老舗であり、そして地元経済の中心的存在である鶴屋百貨店も、この二度の強い揺れによって大きな損害を被り、その様子は地震被害の象徴として報道され、復旧(営業再開)までの歩みは復興への強いメッセージとなりました。
建物を、周辺を、そして鶴屋全体を知り尽くした当社の職員は、復旧に向けたロードマップを描き、その実行のために奔走したのです。

「全館再開」へ見せた集中力

小西 マイスター

本館を下階から順次再開し、地震発生から約一ヵ月半後(6月1日)に本館全館営業再開したい、という発注者の強い思い応えるため、関係者はすぐに動きました。
地震直後の混乱の中、全社のバックアップによる調査・設計作業を進める傍ら、協力会社の参集に全力を注いだのです。小西マイスター自ら各社を回り、鶴屋復旧への強い思いを説いたことにより、地元を中心にレベルの高い協力会社が短期のうちに参集することができました。

沼統括所長

「技術や経験なくしては、落ちかかった塔屋の屋根を人力で解体することなどできませんでした。つまり、鶴屋の皆様、当社職員、協力会社各社、そして地元の協力、復旧への強い意志が結集したからこそ、あの期間であれだけのことができたのだと思います」と沼統括所長は振り返ります。
当社が当地で長年にわたり根を張ってきたからこそ、発揮できた対応力。ここにも西松建設の現場力があります。

発注者/株式会社鶴屋百貨店 建装部長 取締役 中島 弘喜氏より

両社ともに「地元に根差し、地元を大切にする」姿勢で、今後とも信頼関係を築いていきたいですね。

鶴屋百貨店中島氏

被害の全容が把握できない中、一部をみただけでも、これはひどいことになったという認識だけはありました。(株式会社日建設計による)構造物についての判定を経て復旧に向けた作業が急ピッチで進みました。店舗を開き、お客様を迎えることが、当社のビジネスの根幹であり、それを果たすために、下層階から順次復旧作業を進めながら営業を再開することにしたのです。
スケジュールに対するプレッシャーは確かにありました。当館の工事以外にも被災地での多くの復旧需要や大型連休等、数多くの障壁がありましたが、小西さんをはじめ、西松の方々の地元との強固なネットワークや各協力会社様の温かいご支援等により、塔屋撤去などの大掛かりな工事をスケジュールどおりに実行いただき、皆様の集中力を感じました。
当店の営業時間、周辺の交通事情などを勘案いただいたうえで工事を進めていただいております。両社ともに「地元に根差し、地元を大切にする」姿勢であり、同じ視線を持っていると思います。作業の大小問わず丁寧に進めていただく西松建設様と今後とも信頼関係を築いていきたいですね。

当社と熊本

当社にとって熊本はゆかりの地です。明治31(1898)年、創業者西松桂輔氏が、国鉄三角線(宇土~三角港間)鉄道工事に間組の下請けとして従事したことが最初の工事と思われます。
以降九州地方において鹿児島線、宮崎線、肥薩線などの数々の鉄道工事を施工し、信用と実績を重ねていきました。大正15(1926)年3月、熊本市本荘町に熊本支店を新設し、初代支店長には30代の若さで林米七氏(のちに3代目社長に)が就任。九州支店は、昭和 26(1951)年9月に福岡に移転するまで25年間にわたり熊本に置かれていました。

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